わたしはいい子。

アダルトチルドレンの30代独身女の雑記

パニック障害の症状がとても辛かった② なんでも無差別に頑張るのではなくここぞ!という時に頑張る事の大切さ

1人暮らしをしていても尚、パニック発作は治りませんでした。

 

私は発作が起こるタイミングが少し変わっていて以下です。

 

・食後

・入浴中

・映画館

・歩いている時

・自宅で集中力が切れた時

・どうでもいい話を目を合わせて傾聴している時

 

よくパニック発作が起きる、電車は本当に希に怒るくらいです。

人によってバラバラなんですね〜!

 

血の巡りが良くなって、鼓動が早くなると、なんだか火照ってきてドキドキする音が気になって発症!みたいな事が多いかったです。

 

いやでも、本当に治ったから言える事ですがこんな死にそうな怖いもんにはもう2度となりたくないです!!!だから、発作はもう半年以上起こっていませんが、まだ減薬と頓服の携帯は欠かせません…。それだけ、怖いんです発作。

 

でも、普通の人よりはお薬の量は少ないと聞きました。寝る前にジェイゾロフト一錠と、頓服でソラナックスだったかな?…と、

メイラックスを寝る前に一錠です。

 

私は不安定な気持ちが行動に出るタイプではなく、心身症で、出るタイプだったんですが、

「両親にこんな酷い事をされていた!そして、今も尚、してくる!」と気づいた時点で発作が鬼のように起こるようになりました。

あとは同じタイミングで姉が出産して、難産で再度入院したんです。

 

それで、姉ばかりに注目がいき、共依存関係にあった私達家族の中で段々と我儘になってきた私は、私も構ってほしかったんでしょうね。

そして、それを逃げ場のない実家で傍観していなきゃならないのが苦痛で仕方なかったんでしょう。

 

今はどれだけ、姉に注目がいっても、我関せずで好きな時に実家に現れる程度なので、共依存という関係はなくなりました。なので、正直どうでもいいですね。

 

ただ甥っ子の運命や、ただただ理由なく甥っ子が可愛いので会いに行ったりはしますが。

 

話は戻りますが、とにかく発作が起こると不安なんです。

1人暮らしを始めてからも何度も何度も、夜の夕飯時に起こるので、精神の救急相談や、救急相談、少し落ち着いてきたら母親に電話していました。日中は保健師さんですね。

精神の救急相談の方はかなりの塩対応で「電話でご本人さんがおはなしできてるんですよね?私たちがあつかう救急は、大人の力で抑えれなあくらい暴れたりしているレベルの不安定になっている人を対応するんですよ。だから、無理ですね。」と、言われました。

それって、末期じゃない?と思いましたけど…

 

すぐに去る!

終わる!

命に別状ない!

薬を飲んだからもうおさまる!

そう思っていても、不安なんですよね……

自分自身でかかえきれない不安。

 

心療内科の先生には「休職したら?このままでは辛いでしょう。今の状態なら、診断書書いて渡せば、お休みもらえますよ。」と言われました。

 

私は断って、実家にまた無職になり、無力になり、自信がなくなり、戻ってしまうのはいやです。あとは、会社にいる時は不思議とならないんですよ。自宅のみなんです。と言って断りました。

 

思い返せば、会社でなる事もあった。

シュチュエーションは全て一緒なのだが対面で話しを聞いている時だ。しかも自分にとってどうでもいい話。

人の顔を面と見るのがつらくて、表に出さないように全力で普通を保つが、笑顔がひきつる。

「ここから逃げ出したい」

そう心で何度も思うが、中々それは難しかった。だから、会議室などでの面談が嫌いだった。

 

ただ、諸悪の根源(少し表現に問題ありだが…)が、両親であり家族だったという事が分かったから、それを受け止める事・そして見ないようにしてた怒りや悲しみと日々対峙している日々が何ヶ月か続いた。

その内にこもる悪いものを排出する時になっていたのが、あらゆる心身症で、その中の1つが私はパニック障害だった。

 

とにかく毎日がしんどい、いつ光がみえるのか分からなかった。信頼できる先生らに「決して焦らないで」と言われていたので、薬で緩和しながら、やり過ごした。

 

だから、対面で話すカウンセラーとのカウンセリングもシュチュエーション的にはとてもしんどかった。最初は平然を装って、話したり聞いたりしていたが、おきまりの対面で話すことへの拒絶反応のパニック発作が起こる。

私は勇気を振り絞って

「先生…、もうカウンセリングやめたいんです。もうしんどくて、つらいんです。」

と言った。人の顔がみれなくて、下を向いて言う。先生への申し訳ない気持ちもあったのだろう。

 

先生は話していた会話を止めて、私に言った。

「すごく辛そうなアメちゃんを初めて見れたわ。家族という1番揺るぎない人への信頼が崩れて、対人恐怖に陥っているのね…。」

 

「そうなんですか…、対面で人の顔をみると本当にダメでして…。先生なら大丈夫と思ったのですが、好きな友達でも、職場の方でもなります。」

 

「辛いと思うけど、頑張って乗り越えよう!私がついてるから。ここで戻ってしまうことを退行というのだけど、頑張って、乗り越えようとして、結局できずに実家に帰って親の価値観の中で生活をする事に戻るとするでしょう。そうすると、もうカウンセリングは私に効かない、できない。とね、挫折しちゃうの。そこからの回復への道のりってまた今よりももっと乗り越えるものが増えて、つらく険しい道のりになるわ。」

 

先生は続けた

「そして、貴女とかれこれ出会って2年は経つでしょう?アメちゃん、壮絶な出来事をさも誰かの話のようにニコニコと話していたけれど、今は本当の感情が外にあらわせているの。前は感情が解離されて、怒ったり悲しんだりできなかったけれど、段々と出来るようになっているのね。苦しいけれど、生まれ直すのはリスクもあるし、ガッツもいるわ。でも、それだけやる価値はあるのよ。焦らずゆっくりでいいから、乗り越えていこう。貴女はとても頑張っているわ。凄い事よ。」

 

そうなんですかね…。私はよく分からないが、何故か泣かそうになってしまった。

仕事とはいえ、こんなに理解し、支えてくれる人がいる。

そして、元どおりの共依存家族はまっぴらだ。

その時の私には頑張って乗り越えるしか選択はなかった。

 

でも、1年経った今思う。私本当に頑張ったって。

ご飯が美味しいって、当たり前のことだけれど、夕ご飯の団欒が父の説教と呪いの言葉を植え付けタイムだった私にはその言葉を飲み込むのと同時に食べ物を飲み込んでいるような感覚だった。どれも残すことも拒否する事も許されない。

 

でも、今はご飯が美味しい。

お腹がすいた、夜は何を食べようか?

お昼はラーメンが食べたいな。

夜はお菓子が食べたいから、米を食べずにオカズだけ食べようかな。

考えるだけでとても楽しい事に最近気がついた。

 

そんな日常でありふれた普通の会話に私は合わせていただけで、何か食べたいな。と思ったことはなかった。

とりあえず、食べないと良くないし食べとこう。食事なんてそのくらいのものだった。

 

1年前に乗り越える努力をした私がいるから、

今ここにご飯がおいしいと思える私がいてる。

 

ご飯が美味しいなんて、当たり前の事で幸せを感じる私はおかしいのかもしれないけれど、ご飯が美味しくない毎日を送っていた私にしたら、すごくしあわせな出来事だった。

みんなでワイワイご飯を食べて、おしゃべりする楽しみ。なんて幸せなんだろう。

 

本当に私はいい子だ。よくやってる。

自信もついたし、つかなくてもいいところにお肉もついちゃって、みんながご飯が美味しくて困る気持ちも分かるようになった。