わたしはいい子。

アダルトチルドレンの30代独身女の雑記

私、カウンセリングを受ける。

モラハラ彼氏の事をキッカケに女性相談センターで無料で行なっているカウンセリングを受けた。

 

最初は状況確認を公務員の方にされた。

いつから、どんな状況で、困っているかを詳しく説明した。

 

次週から月に一度くらいの頻度で先生と会う事になった。先生は子供の10ヶ月検診やスクールカウンセラーなどをしている、臨床心理士の先生で、年齢は私の親より少し上なのでジェネレーションギャップの壁はあるが、歳を関係ない共通の話が沢山あった。

 

まずはモラハラ彼氏の愚痴を聞いてもらった。今週あったこと、心がゆれること、また寄りを戻してしまったけれど、本当は良くないと後悔している事。

 

周りの友達にはもう「やばいって!別れなよ!」とだけ言うので、この複雑な気持ちは理解出来ないし、私も変な事をしている事を自覚していたので、友達と会うことも億劫になった。

会えば、正論だが心に理解ない言葉がグサグサと刺さり、彼氏には今日は誰ちゃんとどこ行ったという、詳しい報告説明がいる。

こんなに人に依存することはあるのだろうか。

そう思いながらも、この人と家族なんてものを作るのは本当に無理。ということは認識できていた。

 

誰に言ってもモヤモヤする、この話に先生は「それは辛いね」「酷いね」「でも、分かるよ。その気持ち。」「今すぐは難しくても、いずれはね、さよならできる心の準備をゆっくりとしようね。」

友達に話しても別れなよ!の1つ返事を、先生は優しい言葉で、私の複雑な気持ちを察してくれて、すぐに決断できなくてもいいと言ってくれ、戻っても友達の様に騒がなかった。

だから、先生に会うとモヤが晴れるので足繁く会いに行った。

 

なぜ、そう感じるのか、そう思うのか、

そう言った事を感情論だけではなくて、理論的に構造を教えてくれた。

その場ですぐ飲み込めなくても、先生の話す、共依存のロジックを彼氏といる時に頭で反芻して、腑に落としていく。

少しづつ、少しづつ、その作業を繰り返し行い、理解を深めて、彼とは幸せになれない関係だと、真の理解を手に入れる。

 

しかし、依存とは怖い。

中々、理論的に理解していても感情が揺さぶられる。時間というクスリで徐々に悲しみを憎しみに、そして、怒りを浄化して、彼への感情を無にした。

昔の人で、もう嫌いでも好きでもない、どうでもいい人。

そうなると、彼がどうしてようと何してようと、何も気にならない。

彼への無関心が1番の収穫だった。先生なしではここまでたどり着けなかった。

 

まだ、あの共依存の中でどっぷりはまっていると思うと、私は何か事件を起こしていたかもしれない。

 

本当にありがとうございます。

 

でも、ここからが本番だった。

 

「人間関係は家族で初めて構築されて、それを友達・仕事・恋愛・学校って他の社会にトレースしていくのね。」

 

「?はい…。?」先生が何を言わんといているのかが分からなかった。

 

「家族っていう人間関係を見直す必要があるの。アメちゃんのお母さんとお父さんのお話を聞かせて。」

 

んー……。ふっつーの平凡な核家族で、殴るの虐待もなく仲は今でもいいから、話すことなんてないけどなぁ…。父とは相性が悪いが似ているからで、母とは友達みたいに仲が良い。

そう思った。というより、そうとしか思えなかった。

 

「普通で、あまり問題は家族にはないと思います。」私は考えて返答した。

 

「アメちゃん、もし家族に程よい愛情をもらって、敬愛の心で家族から接してもらえていたら、そんな男性とはこんなに長く続かないわ。自分の尊厳がなくなるもの。アメちゃんは私がやってあげなきゃって、思い色々彼氏にしてあげてたわよね?それは、共依存なんだけれど、家族関係にもアメちゃんはそういう事をしているのよ。」

 

「えー……、そうなんですか?全然ピンと来ないです。私が酷い目にあった時も心配してくれたし、なんだかんだで仲のいい家族ですけどね…。」

 

先生は私の考える顔やしぐさをじっと観察して、私に言った。

「アメちゃん、あなたは若くて時間は沢山あるわ。小さな時のお母さんのちょっとしたエピソードとか、また思い出したら教えてね。」

先生はにっこり笑い、また私に考える宿題をこんな感じで出して、次月に会う事を繰り返していった。

 

私は開けるのが、億劫であり恐怖だった、怒りや恐怖や悲しみが入った心の奥の奥の方にある開かずの扉に少し手をかけたところだった。

 

私は小学校4年性の時に、今思うとパニック発作のようなものを親戚が来ている自宅のリビングで起こした。過呼吸にはならないが、不安と恐怖と動悸が襲う。

夜ご飯、団欒、母は忙しくて、しんどいと何度も訴える私を無視した。もてなしでそれどころではなかったのだ。母は私のしんどさより、もてなしという体裁を気にした。

 

そこから数珠つなぎで私は小さな頃のエピソードや、両親が言った言葉を思い出していった。

 

その時に、ある問題が起きた。

 

これが、私のカウンセリング前半戦。