わたしはいい子。

アダルトチルドレンの30代独身女の雑記

パニック発作で救急車を自分で呼んだ

実家にいた時のこと。

 

姉に子供が産まれ、祖父母の介護が始まり、

あわただしくなる実家。

 

家にいると否応なく、子守や介護や見舞いをさせられる。断りにくい。

 

私は低所得だし、お金遣いも荒く、治したくても治らない。だから家にお金を入れていないので、「家の用事くらいしてよ」と言われるとやらないと。という気持ちになった。

 

でも母は私がキッチンに立つのを嫌がった。私以外も全員だ、キッチンは母のテリトリーだ。

キッチンは私のものとは言わないが、使うと何かにつけて難癖つけるので、料理も食器洗いも、やらなきゃ良かった。という気持ちで家事をやり終える。

それに気づいたのはカウンセリングを受けて母との共依存関係を見直してからだが。

 

そんな中、出産を終えた姉は難産で一度退院したが、少し経って1週間程入院する事になった。

 

一度退院した新生児は病院に入ることが出来ず、私の両親とフルタイムで働いている義兄が行った。私もやはり甥っ子は可愛い。

 

甥っ子の可愛さと、飼い犬たちが私の手をひくが、やはり家は居心地が悪かった。

 

居心地の悪さから、私は今まで怒りをぶつけた事はなかったが、父や母の「あんたが我慢してればそれで済むのに。」という、事が沢山あり、私は特に私に強くあたりマウンティングする父に大きな声で言い返した。

その事が親は驚いたのだろう。父は私の通っている心療内科について来て、病状を説明して欲しいとついて来た。

私は先生に「縁を切るつもりはありませんし、父を傷つけたり、真実を指摘すると怒るかもしれません。ある程度オブラートにつつんで、お願いします…」

先生は「そうするつもりだよ、まぁ遺伝も家庭環境、両方あるのは真実だからね。」

といい、私を待合室に残して、先生と父親は長い事話していた。父親は気が済んだのだろう。

2人で関係ないたわいない話をして一緒に家に帰った。

…特に対応に変化はなかったが、大枠は理解したのか、私には説明がなかったので分からなかった。

 

私の偏見かもしれないが、姉からは「やっと親孝行したぞ!どうだ、私!」と言わんばかりに注目がいく。私は寂しかった。まだモラハラ彼氏の心の傷も完治していないし、両親との関係は悪かった。

 

私がカウンセリングを受けて、見方が変わってしまったからもある。私の生きにくい原因、私ではなく姉に彼氏ができて、結婚をして、子供を産んでいる。今の私には彼氏すら作る気持ちに中々なれないし、もういい年齢だ。だれも見向きやしない。

 

私は家にいながら、ぽつんと1人だった。

母はよく私の話を無視した。当たり前の事だった。それにいやに前よりも腹が立つ。

 

そんな休みの日、私は一人暮らしの準備をしていた。食器が好きなのでアンティークショップに行き、可愛らしい食器や鍋などを買った。重かったが、歩いて持って帰ってきて、荷造りの箱に詰めようとした。

少しは寒いが、そこまで寒くないいい気温だった。10キロくらいある、食器やまな板などを買った袋をさげてお店から家まで歩いていた。

 

以前の様な、動悸がまたした。

また…?…嫌な予感。

あまり気にせず、家に帰る足を進める。

 

家には誰も居なかった。

いや、飼い犬は喜んでむかえてくれた。気にしない様にするが、やはり動悸が止まらない、暑くないはずなのに、暑い。胸や手首に手をあてなくても感じる強くて早い鼓動。段々とそわそわしてきた。

 

どうしよう、どうしよう、どうしよう…

落ち着いて座る事も横たわる事も、じっと経っている事さえ難しい焦燥感と不安感が強くなる。もう、お願いだから去って…!!

そう思いながらも、やっぱりストレスか何かで身体を崩して、何かの病気の症状が出てきて、体調が悪いのかもしれないとも、思ってきた。

そう思うと、一層焦燥感と不安が増大する。

 

自分の部屋で、照明もつけずに歩いたり、座ったり、深呼吸するが、不安は取り除けない。

時々、非常に強い鼓動の早さとともに不安感がきてめまいがする。もう、倒れるんだ。私。

 

そう思いながらも気を失う事はない。

自室にいても全く治らないので、リビングにいく。飼い犬が「どうしたの?」という表情でみつめてくるが、今はそれどころではない。

 

スマホを片手に持ち、ウロウロ歩き続けた。

波の様にくる強い不安の時は頭を地面につけてキュウと締め付けるような恐ろしい気持ちをやり過ごす。辛すぎた。

 

スマホではずっと、救急相談の電話番号を探している。息もうまくできなくて、荒い、話しにくい、喉につまる。いつ心臓が止まってもおかしくないような苦しさと、鼓動の早さだ。

 

もう誰か助けて!私は救急相談に電話をかけたが、窓口の人に「精神的なものですかね、パニック発作…。精神の救急相談があるので、そちらにかけてみます?」と言われた。

 

震える指で精神の救急相談にダイヤルする。電話の窓口の人も疲れているのだろう。相談したが「貴方、今ご自分の症状をお話しできてますよね?ここは、もうそういう事も出来ない暴れてどうにかしないといけない人しかお迎えできません。」と言われた。

 

じゃあ、どこが私を助けてくれるの…

もう発作が始まって、30分は経つのに一向に良くならない。

 

誰も帰ってこない。

 

母は仕事、父はきっと姉の家に行って子守をしているんだ。

 

私は憎んで、こんな私に誰がしたと言わんばかりに両親に悪い感情を抱いている時だった、それなのに、母が、父が、助けてくれないかと思っている。「大丈夫」って行って欲しいと思っている…。辛かった。

 

拉致があかないので110にまた震える指でダイヤルした。

 

説明が上手くできない。早口で症状を訴えるが、話すと息がつかえる。そして、苦しくて話せなくなる。少しイライラした声色で「結局、救急車呼びます?呼ばないで様子みます?」と言われた。

 

私は来てください。と答えた。

 

終話してからも、やはりまだ焦燥感と不安が消えない。

 

締付ける服装が一段と気分を害したので、寝る時の格好をしていた。そして、暑かったので、半袖だった。

 

震えた手で財布と、携帯をカバンに入れて、ウロウロ歩きながら待った。すぐに救急車はきた。

 

飼い犬がサイレンの音に反応して吠える音がかすかに聞こえる、ヨロヨロと歩きながら、外に出て、救急隊員の方と会い会釈する。

私が救急車…。なんか笑える。

そう思いながら、停車した担架で寝て、指につけた血圧計で血圧と熱をはかられた。

 

救急隊員の方が「高いけれど、血圧と脈拍どちらも高いから、意識がなくなる事はなさそう。これで血圧が低いと怖いけどね。」

 

そういいながら、何かの機器をみて話していた。なんだか少し落ち着いた。

「少し下がりましたね。このまま病院に行って診察を受けるか…、この感じなら家で様子見ていたら戻るかもしれませんね。」

 

そうなんだ、病院にいくまでもないのか。。。行ってもきっと、原因不明のストレスで終わって高額な料金を払うのだろうか。

今までも何度もそうだった。病院に行っても「ストレスかなぁ?」で終わるのだ。

 

私は少し落ち着いてきたので、家で様子を見ることにしますと、言い、救急車を降りた。

 

でもやはりまだ、鼓動は早かったし不安感も拭えなかった。

 

また1人家に戻る。16時くらいから続いているのに18時になってもまだ続いている。

 

そしてまた、強い焦燥感と早い鼓動、強い不安感が現れた。胸がキューとなり、息が苦しい。助けて欲しい。救急車にならなかった事を後悔する。

 

母は仕事だ。父に電話をした。

あとから姉から聞くと「そうやって、注目してほしいからアメはそういう事をしてるんや。病院の先生がそういう説明してたわ。」と言ってたらしい。

こんなに辛かったのに、そんな事思ってたのか。心配はせずに。

 

父は結局帰ってきてくれたが、別に帰ってきても治るわけではなかった。自室に行ったり、リビングに戻ったり、波の様に動く不安感と向き合いながら、時が過ぎるのを待った。

 

落ち着いたのは20時だった。

 

もう、こんな怖い症状にはなりたくなかったので、行ったところだったが、心療内科に行き、「ジェイゾロフト」という薬を処方してもらう。

それでもやはり発作は時々起こった。

起こりそうな前触れが分かるくらいに何度も起こった。

 

心療内科の先生には「休職した方がいいかもね。診断書書こうか?」と言った。私は両親と距離を置く方が大事だったので、断り、頓服の薬を服用してもらって、だましだましで通勤した。

 

人が行き交うベンチのない駅で汗だくになって、座り込んで発作が過ぎるのを待った。

 

ある日は、既に1人で暮らしていた時に食後と入浴後になると発作が起こるので、ベランダを開けて涼しい風をあびながら気を紛らわすために母に電話して話をした。

 

この経緯をカウンセラーに久し振りに会って話した。

 

「辛かったね…。アメちゃんは意図的にしてはいないけれど、実家がアメちゃんの悲しみを表すステージになって、注目してほしかったから、発作…酷く起こったんだろうね。心で寂しい、お姉さんばっかりじゃなくて、私を見て!って。そう心で叫んでたんだね。小さな時に出来なくて抑え込んでた「寂しさ」が排出されたのね。」

 

言われるまで気づかなかった。

でも、私は拒食症でもリストカットも自殺をちらつかせたりするそぶりもした事がない。

 

でも、体調不良で親に「私を見て、寂しいよ、独りにしないで!」って悲しんでたんだ。

 

私は自分はなんて可哀想なんだ…。

そう思って、その日は特に頭をなでて、心の中でこう言った

「わたしはいい子。」